1.『保安司』の概要
書籍『保安司』は、金丙鎭(キム・ビョンジン)によって著され、1988年6月に韓国のソナム出版社から韓国語で出版されました。日本語版は『保安司(ポアンサ)―韓国国軍保安司令部での体験(ルポルタージュ叢書36)』というタイトルで、韓国語版とほぼ同時期に出版されたと考えられます。ルポルタージュという形式が採られていることから、著者が実際に体験した出来事に基づいて、事実を詳細に報告しようとする意図が窺えます。
本書の中心的なテーマは、著者の金丙鎭が韓国の国軍保安司令部(국군보안사령부)内で経験した出来事です。金丙鎭は、1983年7月にスパイ容疑で不当に逮捕され、拷問を受けた後、3年間にわたり保安司令部の捜査官として強制的に勤務させられました。この書籍は、彼が保安司令部内で体験した、国家権力による暴力の実態を生々しく描き出しています。
しかし、『保安司』は出版直後、当時の韓国の軍事政権によって直ちに発禁処分を受け、回収されました。これは、本書の内容が当時の政権にとって極めて不都合であり、その権威を大きく揺るがす可能性があったためと考えられます。にもかかわらず、本書はその後、歴史的に重要な意味を持つようになり、過去の国家による人権侵害に関する法的な訴訟において、重要な証拠として採用されることになります。特に2012年には、元陽川区庁長の秋在燁(チュ・ジェヨプ)による在日本大韓民国民団関係者である柳某氏への拷問事件において、本書が有力な証拠となり、事件の真相解明に大きく貢献しました。このように、『保安司』は、当初は権力によって隠蔽されようとした真実を明らかにし、正義の実現に貢献する重要な役割を果たしたのです。
2.著者:金丙鎭の背景と執筆動機
金丙鎭は1955年1月、日本の神戸市で生まれました。在日韓国人としての出自が、後の彼の人生に大きな影響を与えることになります。1973年3月には大阪府立北野高等学校を卒業し、同年4月に関西学院大学文学部に入学しました。その後、彼は自身のルーツである韓国への関心を深め、1980年3月には延世大学校文科大学に編入学しました。さらに学業を追求し、1983年4月には延世大学校大学院国語国文学科に入学しています。
しかし、彼の学究生活は1983年7月、突然終わりを迎えます。帰宅途中に韓国国軍保安司令部によって強制的に連行され、3ヶ月にわたる不法な拘禁と拷問を受けたのです。在日韓国人であるという彼の背景が、当時の韓国の政治情勢の中でスパイ容疑をかけられやすい状況にあったと考えられます。実際、当時の韓国社会においては、在日韓国人に対する偏見や警戒感が存在していました。
拷問による精神的・肉体的苦痛に加え、家族を人質に取られるという脅迫を受け、金丙鎭は1984年1月、保安司令部の対共処捜査課で情報分析官として強制的に勤務させられることになります。これは、彼にとって計り知れない苦痛であり、正義感を持つ彼にとって、内部で起こる不正を目の当たりにすることは耐え難いものでした。
1986年2月、公訴保留期限が満了したことで形式的には退職したものの、金丙鎭は韓国での生活に強い危険を感じ、家族と共に日本へ亡命しました。祖国を離れるという苦渋の決断は、彼が置かれた状況の深刻さを物語っています。
日本に逃れた後、彼は自身の体験を告発するノンフィクション作品の執筆に取り組み、1987年8月には、その作品によって朝日ジャーナル優秀賞を受賞しました。この受賞は、彼の告発の重要性と社会的な影響力を示すものでした。そして、1988年6月、韓国国内で保安司令部の実態を告発する書籍『保安司』を出版するに至ります。
金丙鎭が『保安司』を執筆した主な動機は、自らが経験し、また目撃した国家権力による暴力と人権侵害の実態を社会に告発することでした。彼は、保安司令部が行っていたスパイ捏造事件や日常的な拷問などの非人道的な行為を白日の下に晒すことを強く望んでいました。特に、在日韓国人がスパイとして不当に扱われるケースが多かったことに対し、強い義憤を感じていました。彼は、捜査官たちの実名はもちろん、話し方や外見まで詳細に記録することで、自身の告発に具体的な証拠力を持たせようとしました。これは、単なる感情的な訴えではなく、事実に基づいた告発によって、国家による不正を正そうとする彼の強い意志の表れと言えるでしょう。
1955 | 金丙鎭、神戸市で生まれる | |
1983 | 保安司令部に強制連行され、拘禁・拷問を受ける | |
1984 | 保安司令部の対共処捜査課で強制的に勤務 | |
1986 | 公訴保留期限満了により退職、家族と日本へ亡命 | |
1987 | 保安司令部を告発した作品で朝日ジャーナル優秀賞を受賞 | |
1988 | 韓国国内で『保安司』が出版されるも即座に発禁 | |
1988 | 民主党などが国会で政府を追及 | |
2012 | 『保安司』が拷問事件の裁判で法的証拠として採用される |
3.『保安司』の内容と構成
『保安司』は、金丙鎭が1983年7月9日(土曜日)の午後、退勤途中に保安司令部の西氷庫(ソビンゴ)分室に不法に連行される場面から始まります。彼はそこで2ヶ月以上にわたり、監禁、脅迫、懐柔、そして激しい拷問を受けました。その結果、彼は北朝鮮のスパイであるという虚偽の自白を強要され、1984年1月には保安司令部の6級軍務員として強制的に採用されるという、信じがたい経験をすることになります。
本書は、金丙鎭が保安司令部の捜査官として勤務した3年間の出来事を詳細に記録しています。彼は、内部で日常的に行われていたスパイ捏造工作の実態を目撃し、実績のために罪のない在日韓国人をスパイに仕立て上げる過程を克明に描写しています。暴力、水拷問、電気拷問など、目を覆いたくなるような拷問や人権侵害の様子が、生々しく語られています。
金丙鎭は、保安司令部内では拷問、脅迫、盗聴が日常茶飯事であり、恐怖政治が行われていたと証言しています。彼は、自身が経験した拷問の恐怖だけでなく、家族を人質に取られ、強制的に情報分析官の任務を与えられた状況についても語っています。また、彼は、スパイ捏造に加担させられたことへの深い罪悪感を抱きながらも、在日韓国人の柳某氏を救出するために尽力した経緯も本書で明らかにしています。
『保安司』は、国家権力によっていかにしてスパイが捏造され、拷問などの非人道的な手段によって人々の人権が蹂躙されていったのかという、おぞましい実態を告発しています。金丙鎭は、保安司令部という密室の中で行われていた、国家による強制と抑圧の実態を、内部にいた者だからこそ知り得る視点から描き出しています。彼の証言は、当時の韓国社会における権力構造の歪みと、その下で苦しんだ人々の存在を、現代に生きる私たちに強く訴えかけます。
4.1988年当時の韓国の政治社会情勢
1988年は、韓国にとって大きな転換期となる年でした。長きにわたる軍事政権と権威主義的な支配から脱却し、民主化と現代化の過程を歩み始めた時期でした。1987年の「民主化宣言」以降、国民の民主化への要求は高まりを見せており、1988年のソウルオリンピック開催は、韓国が国際社会に向けて新たなイメージを発信する絶好の機会であると同時に、国内の民主化をさらに推し進めるための大きな契機ともなりました。
しかし、民主化への道のりは決して平坦ではありませんでした。1987年6月には、全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領の指名した盧泰愚(ノ・テウ)を次期大統領候補とすることに対し、学生や労働者をはじめとする多くの人々が大規模な抗議デモを展開しました(六月民主抗争)。この民主化を求める国民の強い意志が、政府に直接選挙の導入などの民主化改革を認めさせる原動力となりました。
1987年12月に行われた大統領選挙では、盧泰愚が当選しましたが、これは軍事政権から民主的な手続きによる政権への移行を示すものでした。しかし、盧泰愚自身も元軍人であり、依然として軍部の政治への影響力は大きい状況にありました。1988年4月に行われた第13代国会議員総選挙では、与党であった民主正義党が過半数を獲得できず、1960年以来初めて与党が国会で多数派を占められないという結果となりました。これは、国民の政治意識の高まりと、軍事政権に対する批判的な世論の広がりを示すものでした。
このような政治社会情勢の中で、国軍保安司令部(국군보안사령부)は依然として強大な力を持っていました。保安司令部は、朴正熙(パク・チョンヒ)政権や全斗煥政権といった軍事政権の維持に重要な役割を果たし、国民に対する広範な監視、政治的反体制派の弾圧、そして拷問を含む非人道的な取り調べを行ってきたことで知られています。民主化が進むとはいえ、1988年当時もその影響力は依然として強く、政府にとって都合の悪い情報を隠蔽したり、批判的な言論を封じ込めたりする能力を持っていたと考えられます。
1980年代の韓国では、言論の自由や集会の自由は厳しく制限されており、多くの人々が不当に逮捕、拘禁され、拷問などの人権侵害を受けていました。1987年の朴鍾哲(パク・ジョンチョル)拷問致死事件は、国民の怒りを爆発させ、民主化運動を大きく加速させる要因となりました。このような状況下で出版された『保安司』は、保安司令部による人権侵害の実態を内部告発するものであり、当時の社会に大きな衝撃を与えたことは想像に難くありません。
5.『保安司』の発禁と回収
『保安司』が1988年6月に韓国で出版されると、当時の軍事政権は即座にこの書籍を危険視し、発禁処分を下して全量を回収しました。この措置の主な理由は、本書が国軍保安司令部による人権侵害、特に拷問やスパイ捏造といった不正行為を詳細に暴露していたことにあります。民主化への移行期とはいえ、依然として強大な力を持っていた軍事政権にとって、このような内部告発は自らの正当性を大きく揺るがすものであり、断じて容認できるものではありませんでした。
また、『保安司』が単に告発を行うだけでなく、事件に関与したとされる人物の実名を記載していたことも、政権側の強い反発を招いた大きな要因と考えられます。実名が挙げられたことは、関係者にとって直接的な脅威となり、組織全体のイメージを大きく損なう可能性がありました。そのため、政権は出版社の捜索や書籍の押収といった強硬な手段を取り、徹底的に情報統制を図ろうとしたのです。
『保安司』の発禁と回収は、当時の韓国における言論の自由と国民の知る権利が、依然として大きく制限されていたことを示す象徴的な出来事と言えます。国民が過去の国家による不正行為を知る機会を奪い、批判的な言論を封じ込めるという政権の姿勢は、民主化を求める国民の声に逆行するものでした。この出来事は、韓国社会における民主主義の確立がいかに困難な道のりであったかを物語っています。
6.再発見と歴史的意義
厳しい発禁処分と回収措置にもかかわらず、『保安司』は完全に社会から姿を消すことはありませんでした。一部の書籍は密かに保管され、民主化運動に関わる人々や、過去の真相究明を求める人々の間で読み継がれていきました。そして、時を経て、この書籍は韓国現代史における重要な証拠として再評価されることになります。
『保安司』が再び注目を集めるようになったのは、過去の国家による人権侵害事件に関する再審請求や真相究明の動きが高まったことと深く関連しています。特に、保安司令部によってスパイとして捏造された事件の再審において、『保安司』は、当時の組織内部の実態を示す貴重な証言として重要な役割を果たしました。
その最も顕著な例が、2012年に起こった元陽川区庁長の秋在燁による柳某氏への拷問事件です。この事件の裁判において、『保安司』は、秋在燁が過去に保安司令部の捜査官として拷問を行っていた事実を証明する有力な証拠として採用されました。本書に詳細に記述された捜査官たちの実名や特徴が、被害者である柳某氏の証言と一致したことが、その証拠力を高めました。
このように、『保安司』は、当初は軍事政権によって隠蔽されようとした過去の不正を明らかにし、被害者の名誉回復と真相究明に大きく貢献しました。それは、個人の勇気ある告発が、時の流れを超えて正義を実現する力を持つことを示すものであり、韓国現代史における重要な教訓として語り継がれるべき出来事と言えるでしょう。
7.『保安司』の社会的・政治的影響
『保安司』の出版とその後の再評価は、韓国社会と政治に多岐にわたる影響を与えました。まず、本書は、これまで公には語られることの少なかった国軍保安司令部による人権侵害の実態を広く社会に知らしめる上で、非常に大きな役割を果たしました。著者の金丙鎭自身が被害者であり、かつ内部にいたという立場から語られる内容は、読者に強い衝撃を与え、国家権力の暗部に対する認識を深めるきっかけとなりました。
本書は、韓国の民主化運動の文脈においても重要な意味を持ちます。権威主義的な軍事政権の下で、いかに国民の自由と権利が抑圧され、非人道的な行為が行われていたのかを具体的に示すことで、民主化の必要性を改めて強く訴えかけました。また、過去の不正を明らかにし、責任を追及することの重要性を社会に提起し、その後の歴史清算に向けた議論を活発化させる一因となりました。
『保安司』が法的証拠として採用され、実際に過去の人権侵害に関わった人物の責任が追及されたことは、韓国社会において大きな意義を持つ出来事でした。それは、国家権力による不正行為は決して許されず、たとえ時が経っても真実は明らかになり、責任は問われるという原則を示すものであり、今後の国家運営においても重要な教訓となります。
現在においても、『保安司』は、韓国社会における過去の歴史との向き合い方、国家権力と人権の関係について考える上で、非常に重要な書籍として読み継がれています。それは、過去の過ちを忘れず、二度と繰り返さないために、常に記憶し、語り継いでいくべき歴史の証人と言えるでしょう。
スパイ捏造と拷問 | 保安司令部が政治目的のために拷問によって虚偽の自白を強要し、スパイ事件を捏造していた実態を詳細に記述。 | |
内部からの告発 | 強制的に捜査官として勤務させられた著者による内部からの告発は、組織の実態を暴露する上で強い説得力を持つ。 | |
言論の自由の抑圧 | 本書の出版直後の発禁と回収は、当時の軍事政権による言論統制の実態を示す。 | |
歴史的責任の追及 | 発禁処分を受けた書籍が、後に法的証拠として採用されたことは、過去の不正に対する責任追及の重要性を示す。 | |
民主化への貢献 | 国家暴力の実態を明らかにした本書は、民主化を求める世論を喚起し、民主化運動を後押しする役割を果たした。 |
8.結論
1988年に韓国で出版された『保安司』は、軍事政権下の韓国における国家権力による人権侵害の実態を、内部にいた人物が生々しく告発した貴重な記録です。著者の金丙鎭が経験した不当な逮捕、拷問、そして強制的な捜査官としての勤務という過酷な体験は、当時の韓国社会の暗部を克明に描き出しています。
出版直後に発禁処分を受けた本書ですが、その内容は決して消え去ることなく、後の歴史の中で重要な意味を持つようになりました。過去の国家犯罪を明らかにし、被害者の名誉回復に貢献しただけでなく、韓国社会における民主化の意義を改めて問い直し、歴史清算の必要性を訴える力強い証拠となりました。
『保安司』の存在は、いかなる権力も人権を踏みにじることは許されず、真実は必ず明らかになるということを示唆しています。また、民主主義社会においては、言論の自由が保障され、過去の過ちから学び、より公正な社会を築いていくことの重要性を、現代に生きる私たちに強く教えてくれます。本書は、韓国現代史における重要な証言として、今後も長く読み継がれていくべきでしょう。
引用文献
1.Amazon.co.jp:保安司:韓国国軍保安司令部での体験(ルポルタージュ叢書36)
2.韓国国軍保安司令部での体験(ルポルタージュ叢書36)[単行本]通販【全品無料配達】-ヨドバシ
3.保安司(ポアンサ)韓国国軍保安司令部での体験-LINEブランドカタログ
4.過去の清算のために
5.보안사-예스24
6.보안사|김병진-국내도서-교보문고
7.보안사고문수사관보다조작추인한판검사가더밉다”-한겨레
8.간첩혐의유학생어떻게보안사에서일하게됐나-천주교인권위원회
9.'재일동포정치범'-민족문제연구소
10.現代韓国の民主化と法・政治構造の変動-日本評論社
11.SouthKorea'slonghistoryofmartiallaw–andimpeachments|MilitaryNews|AlJazeera
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