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 原文 “80년대초 평화공작, 보안사가 기획”

80年代初めの平和工作、保安司が企画

2003.11.25.07:48

 『保安司』著者主張‥‥「青瓦台の財政支援を受け」(ソウル=連合ニュース)チョン・ユンソプ記者=スパイにでっち上げられた上、強制的に保安司令部で働き日本へ逃亡、五共政権時代の禁書である『保安司』を出版した在日韓国人2世キム・ビョンジン(48)さんが「緑化事業」及び「平和工作」について生々しい証言をした。

 キムさんは疑問死真相究明委員会の緑化事業調査活動に関連して参考人の資格で陳述するため韓国を訪問、25日疑問死委で記者たちと会い17年ぶりに保安司が企画した工作について説明した。

 キムさんは、平和工作が1984年5月教皇ヨハネ・パウロ2世の訪韓を前に、宗教界の反政府運動を弾圧するために宗教界で北朝鮮の指令のもとに活動するスパイを捜し出すという名目の下、保安司が企画、主導した工作だったと証言した。

 キムさんは「平和工作は保安司捜査課で主導し、保安司、安企部、治安本部が定例的に合同会議を開いた」とし「当時保安司幹部だったSがこれを立案してチョン・ドゥファン元大統領の前で直接ブリーフィングをしたと聞いている」と明らかにした。

 彼は「大統領が裁可するなど、保安司では大統領の「関心事項」と重要視し、青瓦台で直接財政支援をした」と「84年末まで3年間行われたと聞いた」と証言した。

 彼はまた保安司が主導した強制徴兵と逆浸透活用工作である「緑化事業」について「緑化事業は保安司審査課が、平和工作は捜査課がそれぞれ担当する構造だったが、緑化事業で得た情報を平和工作に活用したりもした」と話した。

 彼は特に第一教会セミナーチームで活動した後、強制徴兵され部隊内で銃傷を負って謎の死を遂げたキム・ドゥハンさん(当時22歳。高麗大学経済学科)事件について保安司審査課がしでかしたものだと主張した。

 キムさんは1983年延世大学大学院国文科に進学して勉強していたところに在日留学生偽装スパイ団事件に巻き込まれて保安司から捜査を受けた後、検察の公訴保留措置で保安司軍務員(対共処情報分析班)で強制的に勤務させられ、1985年11月公訴保留措置が解除されると1986年2月日本に逃亡した。

 彼は日本で1988年スパイでっち上げ内容などに関する『保安司』ノンフィクションを朝日新聞に応募し、この内容は韓国で『保安司』という本で出版されたが、すぐに五共政権によって出版禁止された。

 キムさんは現在日本で翻訳の仕事とハングルを教える仕事をしており、妻と娘は日本に居住しており、息子は現在ソウル大に留学中だと知られている。
 (写真あり)jamin74@yna.co.kr


 原文 “80년대초 평화공작, 보안사가 기획”

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