第12条(誣告、捏造)
1 他人に刑事処分を受ける目的で、この法の罪について無罪または偽証し、または証拠を捏造・隠匿した者は、その各条に定める刑に処する。2 犯罪捜査または情報の職務に従事する公務員やこれを補助する者、またはこれを指揮する者が職権を乱用して第1項の行為をした時も第1項の刑と同じ。ただし、その法定刑の最低量刑が2年未満のときはこれを2年とする。
とても厳しい。保安法違反事件を扱いながら証拠を捏造したり隠匿すれば、事実上スパイと同等の厳罰に処せられる。しかし、これまでこの条項違反で処罰を受けた情報機関の捜査官や検察官は一人もいない。処罰どころかこのような容疑で告発された場合もなかった。先週、カトリック人権委員会が「脱北華僑スパイ事件」捜査検察官たちと国家情報院職員を証拠捏造・隠匿容疑で告発したのが初めてだ。
ではこれまで数多くのスパイ事件は完璧な証拠と適法な手続きによって捜査が行われたのか。違う。最近再審で無罪判決を受けたスパイ事件を見ると、証拠を操作して捏造して「スパイを作り出した」事例が多々ある。
10年以上真相が隠されていた「スジ・キムスパイ事件」は、国家機関がどうやってスパイを作るのかを赤裸々に見せてくれる。1987年1月香港でスジ・キムさんが夫のユン・テシクによって殺害された。しかし、国家安全企画部(国家情報院の前身)は、殺害されたキム氏がユン氏と偽装結婚し、夫を北朝鮮に拉致しようとしたが殺害されたスパイだとした。当時安企部はユンがキムさんを殺害した事実を知っていた。それでもキム氏をスパイにし、外務省も安企部の要請によって真実を無視した。国家機関が共謀して夫に不当に殺されたキム氏をスパイにでっち上げたのだ。スパイに仕立てられれたキムさんの家族が経験した苦痛は、言葉では言い尽くせない惨めなものだった。
在日同胞で1980年代初期延世大の大学院生だったキム・ビョンジンさんがやられた場合は、はるかに悪辣で知的だ。キムさんは1983年7月、国軍保安司令部(現機務司令部前身)西氷庫分室にスパイ容疑で連行され、あらゆる拷問を受けたが、容疑が明らかにならないと公訴保留処分を受けた後、保安司職員として特別採用された。その後2年間、保安司がスパイをどうのように捏造するのか現場で生々しく目撃した。キムさんは保安司の要員たちが「我々がスパイと言えばスパイだ」と「被疑者を法廷に送るときはここで北朝鮮の革命思想を教育して送る」という言葉まで自慢げに話したと明かした。彼は当時直接見て聞いたものを<保安司>(ソナ厶、1988年)という本にまとめて出版した。スパイがどのように「作られるか」が詳細に記録されている。
キム・デジュン政府と盧武鉉政権を経て、もう証拠を捏造して恐ろしいスパイを生み出すことはなくなったと思った。ところが、最近「脱北華僑スパイ事件」で見るように、国家情報院と検察が「偽造した文書」(中国政府が確認したところによると)をスパイ有罪証拠として法廷に提出して論争になっている。逆に無罪の証拠となる写真と通話記録などは隠匿して提出しなかった。
今回の事件は朴槿恵政権に入って昔の中央情報部と安企部の陰湿な悪習が国家情報院によって蘇るのではないかという懸念を抱かせる。国民の生命と安全保障を最優先にしなければならない国家機関が逆に証拠を捏造してスパイを作りだすなら、そのような国家機関は存在意義がない。検察が今回告発された国家情報院職員と検事をどう処理するかがそれで重要だ。「スパイでっち上げ」という言葉がこの地で永遠に消えるきっかけになってほしい。
チョン・ソック論説委員室長 twin86@hani.co.kr